関西在住60代主婦のうつ病体験記シリーズ12

こんばんは🌆
この題で自分の体験談が途中だったなと自分のブログを読み直してて気づいたのでまた少しづつ書きますね。

近所のお友達に助けてもらいながら何とか病院へ行き その日その日を過ごすことだけで精一杯の毎日でした。

そんな中お友達が突然引っ越すことになり、心の動揺はかなりのものでした。

その頃、長男はスポーツ推薦で行った高校で2年の春の試合で怪我をして、学校が嫌になりかなり荒れた状態でした。
出席日数が足らなくなると学校から連絡があり、単位計算をしながら、学校に送って行ってました。
そのときは高校くらいは卒業しないとダメかなと、そのことばかり考えていました。
最後はインフルエンザで欠席という病院の証明書を書いてもらって卒業できました。
今はそこまでして卒業さす必要があったのかなと思います。

下の2人は兄が大変だとわかっていたのか真面目に学校に行ってくれていました。
私はといえばこの頃、下の子2人もスポーツをしていて、いろんなところで試合があったので、それを見ることが楽しみでした。
全国大会とかにも出てたので自律神経失調症はあるけど人中にもでれるようになっていました。

そんな中、長女が高校3年生の12月に主人が脳梗塞で倒れました。
最初は歩くこともできず、このまま仕事もできなくなるのではと思い悩みました。
こんなときも、主人の家族は助けてくれることはありませんでした。
なぜか給料も減額され、経済的に1番しんどかったかな。
次男に大学辞めてもらわなあかんかなとも思いました。
何とか、貯金や保険をくずしお父さんが復帰するまで生活することができました。

主人の面倒を見ながら、現場、家事、事務仕事に追われる毎日でした。
でもそんな中、義理の父が病院の送り迎えとかお風呂とか食事の一部分を介護の方にお願いすることに同意してくれました。
息子の面倒を十分見てほしいと言って我慢してくれました。
あのお父さんがどうしてと思いました。
息子のことがよほど心配だったのでしょうね。
お母さんはあんまり気にもかけてなかったのでお父さんによくおこられていました。

そんな中でも主人の浮気は治ることはありませんでした。

そのときは、なんでこんな時までって腹がたちました。
ベッドの中で布団にもぐり、携帯で連絡し合ってました。
この頃付き合ってた人が息子の友達の母親で私たち夫婦とも子供のスポーツで行き来があったのでさすがに気持ちをおさえることはできませんでした。
ずっと気付かなかった私自身にも腹がたちました。

この続きはまたね。