関西在住60代主婦のうつ病体験記シリーズ⑧

こんにちは😊
今日はとってもいいお天気です。
うちの仕事はお天気が関係するのでお天気がいいとありがたいです☀️

この間の続きです。
今のさださんなら、なにかできたかもですね。
そのときは何もできないと思われている自分との戦いです。
でも心の中は、私頑張ってるのになんでという気持ちもありました。
でもよく考えると自分が頑張ってるだけで他の人にはそうは見えなかったのでしょうね。
できて当然の価値観だったんです。
無理して頑張って頑張って自分をダメにしていったのかな。
周りは何も変わることはなく 1番下の子が小学校へ上がるのと同時に仕事を手伝うことになりました。
それまでも、主人の都合で手伝ってました。
会社に行くようになって、毎日向こうの家族と顔を合わせるのは、すごく気をつかいました。
そんなことは、どこも一緒ですよね。
でも、その時の私には大変なことでした。
事務仕事プラス現場にいく。
事務仕事は嫁にくるまでやっていたのでそんなにきかなくてもいわれたのはできていました。
現場へいくのは、1人だから気が楽なのですが大阪は淡路島とはちがい車線が多いし高速の合流も難しいしおまけにあのときはナビもなかったので主人が書いた地図でいくので大変でした。
向こうの家族は免許証をもっていたらどんな車でも運転してどこでもいけると思っているみたいでした。
用事のあるときは乗せていってというのですがなかなか大阪の道は私にとって難しかったですよ。
まあ、そのおかげか今は何処へでもいけます。
毎月、学校の用事があるからといって病院はいっていました。
悪くもならないけどよくもなりませんでした。
季節の変わり目が一番つらかったかな。
子供の前で普通にするのがつらいときは、いつも助けてもらってた友達が、遊びに連れていってくれたりご飯をたべさせてくれたりしました。
顔の表情でわかってくれてたのか、
何も言わないでそうしてくれていました。
主人が家で怒鳴ったりしだすとそっと子供を家に連れて帰ってくれたりもしていました。
子供が高校生になったころ、お友達の家も大変なことがおこり、引っ越していきました。
今、ブログを書いてて思いましたが、私はしてもらっただけで何のお返しもできなかったなと思いました。
まして ブログを書くということをしてなかったら、感謝はしてるけどここまで思い出すことはなかった。
ブログのなかで、ありがとうと言おう。
本当にありがとう。
続きはまたね。