関西在住60代主婦のうつ病体験記シリーズ④

こんにちは😊
最近、暖かくなってきましたね。

この前に人に依存するのではなく人に教えてもらう、人に手伝ってもらう、時にはやってもらうということをこの時、少しでも知っていればそんなに頑張らなくてもよかったのにと書きましたよね。
でも過去には戻れないから今からそうすればいいんですよね。

結婚して最初の頃は、2人だけのご飯でした。
日が経つにつれて、お家は違うのにみんなが食べに来るようになっていました。
そのうち、1人減り2人減りと少なくなってはいきましたが、一番下の妹は小学生だったので、何かと私と一緒でした。
私の子供と遊んでくれたりお風呂のお手伝いをたまにしてくれていました。
この妹は親が忙しく、親戚に預けられたりしてたみたいで、私がきてから嫁にいくまで17〜18年一緒のことが多かったです。
本当の姉よりも長い時間いたように思います。
そんな中でも、色々ありましたが、嫁という立場で何か言えるとか何かができるということは全くなく、言われた通りにするだけでした。

そんな中で、心の治療は何もしないまま、調子のいい日や悪い日を繰り返しながら毎日を過ごしていました。

3人目の子供が1歳位の時に椎間板ヘルニアで手術をしました。
最初は、坐骨神経痛と言われていたので我慢しながら家のこと子供のことをしながら3人の子供を連れて病院へいっていましたがいっこうによくならず歩けなくなって這ってトイレへいくようになるまで我慢してました。
そこでやっと主人が病院へ連れていってくれましたが、即入院、手術でした。
実家の母が大阪に来てくれて1人で3人の子供の面倒を見てくれました。
主人と主人の家族はそのときも何も変わらずでした。
あまりのひどさに実家の母もびっくりって感じでした。
娘が心配だけど子供を3人連れて出られないので病院にくることもありませんでした。

主人の家族は、ご飯を食べにいったり旅行に行ったりしてるのにと思い出しては今でもよく言います。
歩いて5分位なんですよ。

退院してからも、麻痺が残り毎日のことをするだけで精一杯でした。

上の子が幼稚園にいくようになり、大阪に出てきて初めてお友達ができました。
ここからはまた次に書きますね。