関西在住60代主婦のうつ病体験記シリーズ⑤

こんばんは!
今日は娘がいなくて、夕飯も早く終わり、主人は事務所で仕事をしています。
私はといえば、お片付けも終わり今日は脳外科の診察日だったので、仕事を中途半端で置いていったので、仕事でもしようかなと思ったのですがなんか気がのらないのでおさぼりです。

また、この間の続きです。
上の子が幼稚園にいくようになり、大阪に出てきて初めてお友達ができました。と書きましたがよく考えてみたのですが、幼稚園へ上がる前か
、後かわからなくなってしまいました。
その人は私より9歳年上で長男と同い歳の子とその上に歳の離れたお兄ちゃんとお姉ちゃんがいるお母さんでちょうど私の家の裏に住んでいました。
主人がよく大きな声をだしていたので、なんとなく事情はわかっていたと思います。
大阪って、田舎と違って隣近所がくっついてるので大きな声だと何を言ってるかまでわかるんですよ(笑)
子供たちは仲がよく、毎日のように遊んでいました。
そんな中、私が自律神経失調症だということとか、人と会うのとかおしゃべりするのが辛いということもわかっていてくれて、調子が悪そうだと子供の面倒まで見てくれました。
一緒にでかけようと声をかけてくれたりもしました。
絶対、他の人を誘うことはしませんでした。
なぜか、心を許すことができました。
なんの見返りも求めず、人にわからないように手助けしてくれました。
この頃はまだ病院も行ってなくて、普通ではないけどなんとか家のこと、子育てができたのは、この人のおかげだと思っています。
でも、子供たちにとっては怒ってるか暗いかのお母さんだったと思います。
主人がいない分、子供には行きたいという習い事は習わせ、私がいいと思うのも習わせ、ある程度していやだというのは辞めさせていました。
最近、むすめがいうのには、なんでそんな点なの?とよくいってたそうです。
私、そんなこと言ってたっけと今思います。
長男は勉強が好きで、自分で有名な塾へ行きたいと言いだし、中学受験をめざすようになりました。三年生位から難波の能開という塾に4年間通い中学受験に挑戦しました。
そんな中、私は下の娘が幼稚園に通うようになったので神経内科に通うようになりました。
この続きはまたね。

60代の主婦がカウンセリングの先生のもとで勉強してる古事記③

こんばんは!
お昼間は暖かくなってきましたね。
でも朝晩はまだ肌寒いですよね。
と思えば、今日は雨で寒いです。
時節がら身体に気をつけてくださいね。

この間のお話の続きです。
(先生)
今、自分でしゃべっててわかりませんかね。
なぜ筆が止まるのか?
なんていうか、評価してもらうために書いてますよね。
人を助けるためとか自分のために書いてないですよね。
まず自分のために書いてないですわ。
まず、ブログって、自分のために書くんですよ。
(さださん)
いい文をかこうとしてるんですか?
(先生)
そうなんですよ。
まず自分のために書くんですよ。
自分のためにならないものは人のためにもならないんですよ。
うーん。
だから古事記の1回目としてここを自分のために書くんですよ。
わかりますよね。
だから、僕から教えてもらったことを人に教えようと思ってるんですよ。
(さださん)
そうですよね。
(先生)
無理ですって!
それって、僕と同じことができるということじゃないですか。
(さださん)
先生の言葉を入れながら書こうと。
(先生)
無理なんですって!
言ってることわかる?
なんでもそうなんですよ。
理想が高すぎるんですよ。
これはね。
仕事でも健康でも全部そうですね。
正直言ったら、別にいいんじゃない。
そんなに見苦しく太ってるわけでも無いしと僕思うんですよ。
あー、そうか痩せたいのかと思うのが正直なところなんですよ。
痩せたいんやったら、このままずっと太っていくと脳梗塞になる確率高いよっていうことを言わなあかんなとなるんですよ。
でも、そもそもですよ。
私って、痩せないとダメなんですかと聞かれたら別にいいんじゃないですかっていいますよね。
ハードル高いのとすごく賢いんですね。
凄いみんな賢いんなってみんなにいうんですよ。
ちなみに違うけどね。
だから苦しいのはそれだと思いますよ。
結局は求めるものが高いですよね
だけど苦しくないですか?
そんなに高い点数だけ、自分にも厳しく、人にも厳しく生きてたら!
上を目指してるんじゃなくて基準が高いんですよ。
それって自分に対する自己評価の基準点が高いですよ。
僕は別にマイナス10点で何がダメなのかなと思うんですよ。
別に生きてるだけでいいんとちがいますの❓
病気はなおることにこしたことはないですけど生きてるだけでいいじゃないですか。
だから僕がブログを書いてる人たちがなかなか書けない時にね。
こんだけのレベルのことが書けてて
まだ上を望むっていうのはいいことだけど苦しいねって。
まあ、ちょっと恥ずかしいくらいの文章を書けるくらいになったほうがよくないかなーってことです。
平気で割と間違えたり、平気で恥ずかしい思いができる人間になったほうが楽ですけどね。
ブログ書くってすごいですよ。
古事記の勉強するなんてもっとすごいですよ。すごいですよ。
それくらいわらをも掴む状態だったからですよ。
ということは心が病んでラッキーでしたよね。
心の病にならなければ古事記を勉強することもなければブログなんていうものを書くこともなかったと思うんですよ。
だからよかったねなんですよね。
なのにまた、基準をあげたんだねということです。
何を書いていいかわからないんじゃなくどう書いていいかわからないんですよね。
僕に読んでももらうということが文章の良し悪しの1つの基準になってるんですよ。
でもね。僕が教えたことを僕が読むわけないですよね。
僕が教えたんだから知ってるしってことです。
逆に聞きますわ。
どうなんですかって。
この続きはまたね。

ピーナッツダイナー神戸と神戸リスカフェ

今日は久しぶりにお出かけしました。
朝、京都方面へいくか、神戸方面に行くか迷いました。
私、龍🐉が好きで、龍の襖絵とか天井画とか見るのが大好きです。
一番好きなのは日光東照宮の陽明門をでて左の方にいくと日光山輪王寺 薬師堂があります。
天井に”鳴き龍”と称される龍画が描かれています。
薬師堂の龍の絵は、龍の顔の下で拍子を打つとカーンと音が鳴ったあと音が共鳴し、鈴を転がしているような龍の鳴き声に聞こえるため、「鳴き龍」または「鈴鳴龍」と呼ばれているそうです。
この鈴鳴龍が素敵なんですよ。

話が全然違う方面にいってしまいました。

結局、神戸方面に行くことになりました。
知り合いがピーナッツダイナー神戸に自分のコレクションを飾ってると聞いていたので、行ってみようかということになりました。
大阪から阪神高速で京橋まで乗りそこからナビ通りに車を走らせ中山手通にあるピーナッツホテルにつきました。
タイムズに車を止めて予約してた時間より少し早めに席につきました。




ピザとスパゲティ🍝🍕と飲み物を頼みました。
キャラクターの飲食店はいままであまり美味しくないイメージだったのですが、主人も私も美味しいねと首を傾げながら食べました。
スヌーピーがあまりにも沢山かざっているのでびっくりしました。
ホテルの方は宿泊者しか入れないので見れませんでしたがそこにもあるそうです。
そこから、ちちんぷいぷいでしてた、国際会館の近くにあるリスカフェにいきました。
予約してなかったので名前と携帯番号言っとけば順番がきたら連絡くれるていうシステムがよかったです。
2時間位と言われたので、近くにあるそごうをウロウロして時間をつぶしました。
私はテレビでしてたリスの誘惑、主人はダッチベイビー(チョコバナナ)をたのみました。


どちらもおいしかったですよ。
リスの誘惑 は14時からなのでご注意を!
帰りは神戸大丸のデパ地下で色々買って阪神高速に乗って大阪にに帰ってきました。
今日は本当に久々のおでかけでした。

関西在住60代主婦のうつ病体験記シリーズ④

こんにちは😊
最近、暖かくなってきましたね。

この前に人に依存するのではなく人に教えてもらう、人に手伝ってもらう、時にはやってもらうということをこの時、少しでも知っていればそんなに頑張らなくてもよかったのにと書きましたよね。
でも過去には戻れないから今からそうすればいいんですよね。

結婚して最初の頃は、2人だけのご飯でした。
日が経つにつれて、お家は違うのにみんなが食べに来るようになっていました。
そのうち、1人減り2人減りと少なくなってはいきましたが、一番下の妹は小学生だったので、何かと私と一緒でした。
私の子供と遊んでくれたりお風呂のお手伝いをたまにしてくれていました。
この妹は親が忙しく、親戚に預けられたりしてたみたいで、私がきてから嫁にいくまで17〜18年一緒のことが多かったです。
本当の姉よりも長い時間いたように思います。
そんな中でも、色々ありましたが、嫁という立場で何か言えるとか何かができるということは全くなく、言われた通りにするだけでした。

そんな中で、心の治療は何もしないまま、調子のいい日や悪い日を繰り返しながら毎日を過ごしていました。

3人目の子供が1歳位の時に椎間板ヘルニアで手術をしました。
最初は、坐骨神経痛と言われていたので我慢しながら家のこと子供のことをしながら3人の子供を連れて病院へいっていましたがいっこうによくならず歩けなくなって這ってトイレへいくようになるまで我慢してました。
そこでやっと主人が病院へ連れていってくれましたが、即入院、手術でした。
実家の母が大阪に来てくれて1人で3人の子供の面倒を見てくれました。
主人と主人の家族はそのときも何も変わらずでした。
あまりのひどさに実家の母もびっくりって感じでした。
娘が心配だけど子供を3人連れて出られないので病院にくることもありませんでした。

主人の家族は、ご飯を食べにいったり旅行に行ったりしてるのにと思い出しては今でもよく言います。
歩いて5分位なんですよ。

退院してからも、麻痺が残り毎日のことをするだけで精一杯でした。

上の子が幼稚園にいくようになり、大阪に出てきて初めてお友達ができました。
ここからはまた次に書きますね。

60代の主婦がカウンセリングの先生のもとで勉強してる古事記②

こんにちは😊
最近寒い日が続いてますますが風邪なんかひいてませんか?

古事記のことを少しずつ書いていきますねって書きましたよね。
次、書こうと思ったらどう書いていいかわからなくなってしまいました。

先週、先生のところに行った時の先生のお話です。
私はまた1から勉強したほうがいいですかねと聞きました。
(先生)
また1からですかねと聞いたとしたらすごいですね。
古事記が難しいということがわかったということは凄い進歩ですよ。
簡単だと思ったんじゃないですか?ということです。わかりますよね。
いいんですよ、難しいんですよ。だから漫画でいいから繰り返し繰り返し読んでくださいねって。
だって一回、二回授業聞いただけで人に教えらるれるなんてこと、中学校、高校のときもなかったでしょ。
さださんが今やろうとしてることはそういうことですよね。
一回授業を受けてそれを人に教えようとしてるんですから。
僕はこの前も言いましたよね。
授業受けたけど訳わかりません。ということをメインにずっと書いていってくださいと。
天の石屋戸のことを習いました。
詳しくはこの本の何ページに載ってますからみてみてくださいと。
こんなような感じで私はわかったような気になりましたけどよくわかりません。
だからこれからも天の石屋戸の話はどんな意味なんですかということを定期的に先生に聞いていこうと思います。
そうすればゼロのときよりすごくわかったということになると思います。
だから、私のブログを読んでくれてるあなたも漫画でいいんで、訳わからなくといいんで難しくて当たり前なんででもきっと役にたつと思いますから読んでみてください。
なぜなら私が先生の授業を聞いてるときになるほどなるほどっていつもいってる自分を持ってますから。
わー古事記って役にたつんやなって授業中は思ってますから。
それを私はこのブログで伝えたいんです。
古事記が役にたつんだ、ためになるんだ、単なる勉強じゃなくて人生に役にたつんだっていうことが私は授業を受けてからわかるようになりました。
ただ、どう役にたつのかはわかりません。
でも、役にたつんです。
是非とも読んでみてください。
(さださん)
なんかそれで変わったような気もするんですよ。
(先生)
そうなんです。
それを書くんですよ。
知らないうちに僕が授業してることをまとめて提出しなきゃいけないと勘違いしてるんですよ。
(さださん)
そんな感じ。
(先生)
違うんです。
さださんが人に教えることができるのは古事記って役にたつかどうかまったくわからなかった。
でも授業中、本当に役にたつな、これってああいう場面で役にたつな、家でも役にたつな。
子供のあのときってこれ知ってれば
というのは授業中には思うのです。
でもその内容をブログに書くことができませんと。
だから、ねっ、私と一緒に勉強していきましょうと読者に呼びかけるんですよ。
私のブログを見ながらこの本を読んでいきましょうって。
そうやってよびかけていくんです
毎回!
そうでしょ。
からしてもらって、役にたつと思うことをそれを伝えていくということですよね。
だれも古事記のことをブログで教えて欲しいと思っていません。
て、そんなことできません。
僕もこうやって古事記のこと教えてますけど、正直あのそんなわかってないと思います。
じゃー、誰か凄くわかってるんかというと、僕、誰もそうでもないんじゃないかなと思ってます。
でも、僕は役にたつと思ってます。
だけど中身のことは僕も専門家もわかってないんじゃないかなって思います。
僕は古事記を勉強してる人に一番伝えたいのは古事記が生活に役立つことをわかればそれでいいと思います。
(さださん)
それを説明するにはどんな風に?
(先生)
例えばこの世の始まりっていう授業を受けました。
ここで自分が印象に残ってる大事だと思うことを何ページにこんなことを書いてあります。
でも正直いってよくわかりません。
先生も中身わからないよと。
古事記が役にたつんだっていうことがわかればそれだけでいいよっていうことですよね。
それを伝えていくんですよ。
ここにこんなことが書いてあるんです。
よくわからないけど大事みたいですよ。
(さださん)
この漫画のいいところを書くんんですか?
(先生)
そう、そう。
映画の予告編と同じでこれ読めよと言っても読まないじゃないですか。
これをポン、ポン、ポンと書いて予告編みたいな感じで。
ここにはこんな物語が書いてありますよ。
それでいいんですよ。
これは意味が深いですよ。
もし僕に、なんか解釈してもらったことがノートか録音か記憶にあるならそれを書いて読んで見てくださいでいいんじゃないですか!

ここまでの録音は7分39秒でした。
まだはっきりとはつかめてません。
この後、教えてもらったことを次回書きますね。

60代の主婦がカウンセリングの先生のもとで勉強している古事記①

国生みの島・淡路島①〜④で古事記のことを少し紹介しましたよね。

私は数字は大好きだけど、文章を書いたり、読んだりするのが一番苦手です。

60代手前から 若い頃習っていたお茶のお稽古を始めました。
先生との会話のなかで自分の知識の無さを感じながらも、毎週お稽古だけを楽しんでいました。

そんな私が古事記を勉強するなんて
とても考えられないことです。

でもわからないなりにカウンセリングの先生のお話を聞いていると古事記の奥深さに驚かされます。

なぜ古事記の勉強を始めたのだろうと考えました。
先生が今のさださんに必要なのは古事記の勉強だよ。と言ってくれたのがきっかけです。
なぜかその時、やってみようと思ったのです。
不思議ですよね。

前も書いたように淡路島に生まれて国生みの物語というものを僕は重要視したほうがいいんじゃないかなと思っています。
僕は古事記っていうのをすごいものだと思ってます。
僕は特に淡路島に生まれた人っていうのは古事記のことを自分の人生にも役立ててほしいしやっぱりSNSというこういうものが手に入った時代になったのでそういうものを書いてほしいなと思いますよね。

こんな風に先生にいろいろ助言してもらったおかげで古事記の勉強にたどり着きました。

私は里中満智子さんの古事記(壱)(弐)をアマゾンで買って最初勉強する前に読みましたが本当に本読みしただけで何もわかりませんでした。

古事記は日本という国の歴史の本です。
日本人がどんな歴史の中でどうやって生きてきたかという歴史を日本国内に住んでる人向けに書かれたものです。
海外の人向けに書かれたものが日本書記で国外に向けて日本をアピールしたものです。
どちらも皇室が出したということは正式な歴史書です。
そもそも、古事記を日本人が読むには外国語ぐらいちがうので読むことができませんでした。
江戸時代になって国文学者である本居宣長のグループが訳したのを前提として今の本があるそうです。
完全ではないけれどほぼあってるだろうと、なぜなら古事記の地名と今の地名がかなり一致しているから他の約もあってるのじゃないかな、完全じゃないけどほぼあってるだろうと国家も暗黙の了解で日本の歴史書として認めています。
その証拠として天皇を認めてる。
古事記憲法の条文にはないけれど天皇は日本の象徴であるという憲法の条文がありますよね。
古事記とはあなた個人の祖先のことが書いてあるので読んだほうがいいですよ。

古事記は私たちの家系図であるということですね。

これから、ゆっくり先生におしえてもらったことを書いていきますね。

カウンセリングで60代の主婦が少し変わったところ

こんにちは💕
この間、主人のお父さんとお母さんの13回忌とおばあさんの50回忌の法事をしました。

法事の準備をしてて、このあいだのように思うのにもう12年もなるんやと思いながら、仏壇のお掃除、お膳とか写真、掛軸、座布団、いろいろ用意をしました。
色々あったけど、こうして法事を務められるのもこの人たちのおかげかなと思えました。
今までは、法事をするというだけで、長男の嫁だからちゃんとしなければ、おちどのないようにとがんばるだけでした。
今回は、色々考えて疲れながらも自分のペースでできました。

当日、淡路からお寺さんがきてくれました。
今回は住職さんの息子さんがきてくれました。
仏門に入ってまだ日が浅いのですが、すごく真面目な方で、菩提寺の歴史をまとめているそうです。
いままでもお経をあげにはきてくれていましたが法事は初めてでした。

お経が終わってから今回の3人の戒名の説明をしてくれました。
おばあさんの戒名は先代の住職さんがつけてくれたしおじいさん、おばあさんは今の住職さんがつけてくれたので息子さんは亡くなった人のことをまったく知らないのに一人一人こんな方だったのではと、聞かれました。
主人や主人の妹たちは、そのとおりですと嬉しそうに答えてました。

13回忌、50回忌で戒名の謂れを知りました。

法事ひとつにしても、前の私ならこれでどうだという感じでしたが今回はしなければならないことはしても
どうだじゃなくみんなと一緒に供養できたかなと思いました。
これも先生のところでカウンセリングを受けてるからなんだと実感しました。